その昔、昭和30年代。
時はまさに安倍総理がお手本とする「高度成長期」でした。
インターネット取引など存在していなかった当時、町の証券会社に投資家が押しかけました。
そして列をなした投資家さんたちは声を揃えて「ダウをください」。
今の日経平均株価は、当時「東証ダウ株価指数」と呼ばれていました。
「ALWAYS〜3丁目の夕日」に描かれていたように日本が超元気で、明日は必ず今日よりも輝いていると思えた頃の話です。
東京タワーが立つ直前の昭和32年12月に471円だった「東証ダウ」が東京五輪前の昭和36年7月には1829円まで上昇しました。
世にいう岩戸相場です。上昇率は3.8倍。
朝鮮戦争特需の昭和25年6月から28年3月までの2年半で「東証ダウ」は約5倍。
昭和29年11月から昭和32年5月までの神武相場では2年半で約2倍。
相場が下がってもまた復活を遂げてきた東京株式市場でしたからこれも無理のないこと。
「毎日上がるダウを買いたい」という投資家さんが証券会社におしかけたのです。
個人投資家さんだけでなく、例えばアメリカのピーター・リンチ氏が率いたフィデリティなどの投資信託も日本株買いに動きました。
※ピーター・リンチ氏は、ピーター・リンチは1944年に米国マサチューセッツ州に生まれ、苦学して大学・大学院に進み、2年間の兵役を終えてから1969年に大手資産運用会社フィデリティに入社。1978年に「フィデリティ・マゼラン・ファンド」の運用を開始し、1990年にはこのファンドを純資産総額140億ドルという世界最大級のファンドにまで育て上げたことでも有名です。
小さな市場での大きな存在だったので「池の中の鯨」などと呼ばれていました。
ただし当時、世の中に存在していたのは「株」と「投資信託」だけ。
「東証ダウ」という指数を買いたいと思っても、個人投資家さんの希望は叶いませんでした。
感覚的に「東証ダウ」を買いたいという投資家さんの気持ちも財布も充たすことはできなかったのです。
時は移り21世紀。
世紀を越えてみれば、東京株式市場の売買代金上位は「日経レバレッジETF」。
日経平均に連動する形の投信です。
レバレッジ型としては世界最大のETFです。
個別銘柄ではなく、指数に連動するETFがまさに人気の商品として約50年の時空をまたいて兜町に降り立った感じです。
そのうち「ダウをください」ではなく「ETFをください」と言う声が聞こえ始めるのかも知れません。